軍配龍虎
軍配
 天運と地の利を計り、戦術を指揮すること。
軍配(ぐんばい)とは、かつて武将が戦の指揮に用いたうちわ形の道具である。 軍配団扇(ぐんばいうちわの
略であり、本来「軍配」とは、所謂「軍配術」「軍配兵法」とも呼ばれる、戦に際して方 角・日時を見極め、天文を読んで軍陣を適切に配置する法のことである。
 「軍敗」とも表記される。軍配術を行う者を軍配者という。当時の軍配者にとって、合戦の勝敗は本人のみならず一族の盛衰にもかかわる重大事であり、出陣の日取りや方角で吉凶を占い、天文を観察して未来を予測することは軍配者の大きな役割であった。
 団扇は古くから悪鬼を払い、霊威を呼び寄せるという意味合いで、神事などにも用いられてきたものである 
   
龍虎
 中国古代神話では、古代王権を龍に寄せて、皇帝のしるしとして権威の象徴ともしてきました。
 以来、龍虎は強いもの、神聖な神として扱われてきたのです。龍と虎。また、互いに力の伯仲した英雄や豪傑などの例えとして用いられ、龍は、「洪水日照りなど自然現象を治める・悪を退治・幸運」の力として、虎は、「勇猛・勇気・権威・病や悪霊退散・幸運」の力として崇められてきました。
 龍虎風雲・英雄豪傑・雲従龍・風従虎などの表現あり
法土寺町曳山標識 軍配龍虎
  この龍虎の原図は、安永年間1775年に放生津在住の「高瀬 竹次郎」が、法土寺町曳山を作成した際に設計した原図であります。今から247年前にこの「軍配龍虎」を町の標識として図案化したことは、とても意義深く、歴史的な背景を見ても最高の表現力ではないかと考えられます。
現在、この形の「軍配龍虎のデザイン」は法土寺町にしかありません。
※安永年間は、明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指し、この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。